総合化学メーカーの住友化学株式会社は、生成AIを全社的な変革の起点に据え、組織体制から人事制度までを再設計しながらAI活用を推進しています。
同社が取り組むデジタル変革の最大の特徴は、単なる業務効率化に留まらず、組織文化そのものをAIネイティブへと作り変えようとする姿勢にあります。その象徴的な指標が、全社で掲げられた「成果とスピードを10倍にする」という極めて高い目標設定です。
この高い壁を乗り越えるために、同社は組織の壁を取り払い、現場の専門知識と最先端のデジタル技術を融合させる独自の体制を構築しました。
今回は、同社のデジタルトランスフォーメーションを牽引する西野氏に、大規模組織においてAI活用を日常化させ、新たな事業価値を創出するための戦略と組織論について詳しく伺いました。

住友化学株式会社
DX推進室 グループマネージャー
アカデミアにおける数理物理・計算科学の研究、メーカーでの材料開発、IT企業でのシステム開発・コンサルティング・データサイエンスのキャリアを経て2016年に住友化学に入社。現在はDX推進室のグループマネージャーとして、R&D、生産、サプライチェーン、バックオフィス、ビジネス、新規事業開発の領域における全社のDX推進をリードしている。
※株式会社SHIFT AIでは法人企業様向けに生成AIの利活用を推進する支援事業を行っていますが、本稿で紹介する企業様は弊社の支援先企業様ではなく、「AI経営総合研究所」独自で取材を実施した企業様です。
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- 【戦略】AI活用を成功へ導く戦略的アプローチ
- 【失敗回避】業務活用での落とし穴6パターン
- 【現場】正しいプロンプトの考え方
意思決定のスピードを加速させるための組織統合
住友化学がデジタルへの取り組みを本格化させたのは2019年頃のことです。当初から研究開発や生産現場の効率化を起点に、新規ビジネスの創出までを視野に入れた三段階のDX戦略を推進してきました。
しかし、近年の生成AIの急速な台頭は、これまでの想定を遥かに上回るスピードで事業環境を変えていきました。この変化に対応するため、同社は既存の組織体制の見直しに踏み切りました。

「以前は技術革新を担う部門とIT部門が分かれていたため、何事も合意形成に時間がかかり、変革のスピードが上がりませんでした。二つの部署を一つに統合し、DX推進室を立ち上げたことで物理的な距離も縮まり、技術とインフラが即座に結びつく環境が整いました。これにより全社視点での最適化が図られ、縦割りにより生じる調整なしに素早く動き出せるようになったのです」
この統合によって社内のリソースを集中させ、迅速な意思決定が可能な体制が整いました。一元化された司令塔を持つことで、全社へのAI展開を一つの部署で判断・実行できる体制が整いました。
マネジメント層の意識変革を最優先する戦略的アプローチ
新技術の導入にあたり、多くの企業がまず現場担当者への教育から始める中、住友化学はそれとは異なるアプローチを取りました。
現場がAI活用に熱意を持っていても、上位のマネジメント層がその価値を理解していなければ、日々の業務の中で優先順位が上がることはありません。
西野氏はこの構造的な問題を見抜き、まずミドルマネジメント層の意識を変えることが変革の鍵だと判断しました。そこで同社は、部長級・課長級をターゲットにした意識改革に注力しました。
AIがもたらす事業上の価値を具体的に示し、自組織の課題解決にAI活用を積極的に推進するよう働きかけるとともに、DX・AIへの取り組みを「組織としての最優先事項」と位置づけることで、現場の社員が安心して時間を割ける環境を整えました。
マネジメント層が変われば現場の優先順位も変わる。このシンプルな原則を実践することが、住友化学における変革の推進力を支えています。
「変わりたくない」を乗り越える4つのアプローチ
大規模な組織において、長年親しまれてきた業務プロセスの変更には本能的な抵抗が伴います。西野氏は、人間に備わる「変化したくない」という心理、いわゆるホメオスタシスを前提に置き、社員をポジティブな変化へと導くための4つのアプローチを編み出しました。
まず、目指すべき未来がどれほど素晴らしいものであるかを伝える、ワクワクするようなビジョンの提示。次に、それを実現するための論理的で納得感のある戦略。さらに、小さな成功を積み重ねて自信を深めるためのクイックウィンの創出です。
これらを丁寧に進めることで、社員の不安は期待へと変わり、自ら動こうとする力が生まれます。それでもなお、組織の慣性が働く場合には、最終的にトップダウンによる強いコミットメントで背中を押します。

「人間はどうしても過去の成功体験に執着し、変化に対して慎重になってしまう性質を持っています。だからこそ、理詰めで動かすのではなく、まずは心に響くような驚きやビジョンを提示することが大切だと思っています」
真面目な社員が多い同社だからこそ、このアプローチは効果的に機能したと西野氏は振り返ります。ビジョン・戦略・小さな成功・トップのコミットメント。この4段階を順に踏むことで、現場の抵抗を推進力に変えています。
改善の域を超えてトランスフォーメーションを促すための10倍目標
住友化学が掲げている「成果とスピードを10倍にする」という目標は、一見すると非常に高い数値に思えるかもしれません。しかしそこには、明確な戦略的意図があります。
10〜20%程度の改善を目指す限り、人は既存のやり方を少し良くするという発想から抜け出せません。一方、既存の枠組みでは到底達成できない数値を掲げることで、社員はゼロベースで新しい手法を模索せざるを得なくなります。
DXが目指すのは漸進的な効率化ではなく、これまでの常識を覆す根本的な変革です。西野氏はこの「桁違いの目標」こそが、その変革を促す仕掛けだと考えています。
生成AIを活用する同社において、この数値は決して絵空事ではありません。既存の延長線上では届かない目標が、現場にゼロベースの発想を促し、結果としてAI活用の質と量の両方を引き上げています。
活用の可視化が組織の健全なライバル意識を刺激する
全社的にデジタル活用を推進する上で、西野氏が活用したのが「可視化」の力です。部門によって業務内容が異なるため、活用度合いに差が出るのは当然ですが、その差が放置されると組織全体のリテラシー向上は滞ってしまいます。
そこで同社は、各部署がどれほど生成AIを使いこなしているかをリアルタイムで把握できるダッシュボードを全社員に公開しました。
この取り組みにより、どの部署が積極的にAIを活用し、どの部署が遅れているのかが一目でわかるようになりました。これは決して遅れている部署を非難するためではなく、マネジメント層が自組織の現状を客観的に認識し、自ら利用促進に乗り出すきっかけを作るためのものです。

「データとして活用の実態を公にすることで、言葉で促す以上に多くの気づきをマネジメント層に与えることができました。なぜ隣の部署はこれほど活用が進んでいるのか、という健全な疑問がリーダーたちの間で共有され、自発的な改善アクションにつながっていったのです」
特に安全・安定操業を旨とする生産・製造部門なども、ダッシュボードを見て他部門の盛り上がりを知ることで、自分たちの業務にも取り入れられるのではないかという前向きな議論が始まりました。
ドメイン知識とデジタルスキルの融合による人材育成の極意
住友化学のデジタル人材育成における哲学は、非常に明快です。それは、「データサイエンスの専門家を育てるのではなく、現場のプロフェッショナルにデジタルの力を授ける」というものです。
同社は、自社の強みである化学の深い専門知識、すなわちドメイン知識を持つ社員こそが、デジタル変革の主役であるべきだと考えています。

「いくらデジタルの技術が優れていても、現場の課題の本質を理解していなければ、本当の意味での価値は生まれません。私たちは、長年培ってきた化学の専門知識こそが最大の武器であり、デジタルはその威力を何倍にも引き上げるためのブースターであると考えています。現場を愛し、技術を知り尽くした社員がデジタルスキルを身につけた時の突破力は、どのような専門組織にも勝るものがあります」
現場の専門性を軸に据えた育成方針により、デジタル活用の成果が業務の中から自然に生まれる仕組みが機能しています。
ミドルマネジメントの挑戦を後押しする新たな評価制度
住友化学は2025年度に、ミドルマネジメント層を対象とした新たな人事評価制度を導入しました。この制度の狙いは、DXやAIの推進という、不確実ではあるが極めて重要な挑戦を、リーダーたちが躊躇なく行えるようにすることにあります。
新しいことに取り組む際には失敗がつきものですが、減点も含まれる従来の評価体系では、リスクを取るリーダーが育ちにくいという課題がありました。
そこで同社は、DXに関しては挑戦をポジティブに評価し、たとえ期待した成果がすぐに出なくても、そのプロセスや組織への貢献を重んじる「加点主義」に近い制度を構築しました。これにより、部下に対してもDXを推奨しやすくなり、組織として変革に挑む文化がさらに強固なものとなりました。

「この制度によって、挑戦を称え合う文化が現場から芽生え、組織全体がよりアグレッシブに変革を楽しむようになってきました」
西野氏は、人事制度という組織のOSを書き換えることで、リーダーたちの行動様式を根本から変えることを目指しています。
道具の進化と人間の適応力のバランスという新たな課題
全社員がAIを当たり前に使いこなし、さらには自らツールを「作れる」状態を目指す住友化学ですが、その先には新たな課題も見えてきています。
西野氏は、ノーコードツールの普及などにより、AIを作るハードルが下がっていることは歓迎しつつも、ツールの進化スピードが速すぎることに警鐘を鳴らしています。

「AIを誰もが作れる時代がすぐそこまで来ていますが、次々と新しいツールが現れる中で、それらを使いこなす人間の側の適応力も限界に達しつつあります。だからこそ、私たちは単に最新技術を追いかけるだけでなく、社員が迷わず、自分たちの仕事に役立つものだけを効率的に選べるような環境を整えなければなりません」
次々と登場する新しいサービスや技術に、社員のスキルや会社のインフラが追いつかなくなる「キャッチアップの疲弊」をいかに防ぎ、いかにして持続可能な形で進化し続けるかが問われています。
最新技術を追うこと自体を目的にせず、現場が迷わず使える環境を整備する。この方針が、持続的なAI活用を支えています。
AIへの不安を「創造性への期待」に変えるコミュニケーション
AIが普及する中で、社員の間から「自分の仕事がなくなってしまうのではないか」という不安の声が上がるのは、自然な反応です。西野氏はこの不安に正面から向き合い、AIと人間の関係性についての明確なメッセージを全社に発信し続けています。
同社が社員に伝えているのは、データが豊富で定型的な業務はAIが代替するが、データが少ない領域や、複雑な人間の感情、そして何よりゼロから何かを生み出すクリエイティビティが必要な領域は、人間にしかできないということです。
AIによって単純作業から解放されたとき、人間はより人間らしい創造的な仕事に時間を使えるようになる。このポジティブな未来像をセットで語ることで、不安を新しい挑戦への意欲へと変えていきました。

「AIによって仕事の形は変わりますが、人間が不要になるわけではありません。AIに任せられることはすべて任せ、人間はより創造的な価値創造に専念できるようになる。そう伝え続けてきました」
この方針を研修や日常の対話を通じて繰り返し発信した結果、社員の間ではAIを業務のパートナーとして受け入れる空気が自然に広がっていきました。そして、不安に正面から答え続けたことが、結果として現場のAI活用を後押しする土台になっています。
住友化学に学ぶ「真似するべき」5つのポイント
住友化学のAI活用は、伝統的な製造業が、生成AIという新しい波をいかにして自らの成長エンジンへと変えたかを示す、極めて再現性の高い事例です。
同社の取り組みの本質は、組織の再編、人事制度の改革、そして現場への徹底した教育という、全方位からのアプローチにあります。多くの企業が直面する壁をいかにして乗り越えるか、そのヒントを5つのポイントに整理しました。
- マネジメント層の意識を改革し、デジタル活用を最優先事項に据える
現場にAIツールを配る前に、まずは意思決定を行う上司たちの理解を深めることが不可欠です。リーダーがDX・AI活用を「自分たちの最優先の仕事」と認識することで、組織全体の空気が一気に変わり、現場の取り組みが加速します。 - 改善ではなく変革を強いる「10倍」という高い目標を掲げる
軽度の効率化を目指すだけでは、これまでのやり方に固執してしまいます。既存の枠組みでは到達不可能な高い目標を設定することで、社員に「AIを使わなければ達成できない」という発想の転換を促し、真の改革を引き出しています。 - 現場のドメイン知識とデジタルスキルを掛け合わせ、実利を生む人材を育てる
化学の専門知識を持つ現場の社員にデジタルスキルを身につけてもらうことに注力しています。現場の状況を理解している人間がデジタルの知見を得ることが、実務に即した最も強力な成果を生む近道となります。 - 活用の状況を可視化し、組織内の健全な競争と学びを促す
どの部署がどれだけAIを使っているかを全社に公開することで、マネジメント層の意識を刺激しています。数字として可視化することが、言葉で促す以上に強力な推進力となり、部門を超えた活用の底上げを実現しています。 - AIを人間の創造性を拡張するパートナーとして位置づけ、不安を払拭する
「AIに仕事が奪われる」という不安に対し、人間にしかできない創造的な仕事の価値を説くことを大切にしています。AIを味方につけることで、人間がより高い価値を生み出せるようになるという未来像が、社員の前向きな活用を支えています。
もちろん、ここで紹介した取り組みは、住友化学が長い歴史の中で培ってきた技術力や、強固な経営基盤があってこそ実現できた側面もあります。
重要なのは、制度やツールをそのまま真似ることではなく、自社の文化や事業環境に合わせて、社員が自発的にAIを使いこなしたくなる「仕組み」を設計することです。
AIを導入すること自体をゴールとせず、社員一人ひとりがデジタルという新しい力を手に、自らの仕事を誇りを持って変革できる環境を整えることが、真の成果への鍵となります。
一方で、自社で同様の取り組みを進めようとしたとき、「現場が定着しない」「上層部の理解が得られない」「目標設定の基準がわからない」といった壁に直面するケースは少なくありません。
私たちSHIFT AIは、こうした「導入したが定着しない」という課題解決を得意としています。
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