1878年の創業以来、感染症領域で高い自社創薬比率を誇ってきた塩野義製薬株式会社。

今、同社は従来の医薬品提供にとどまらない「HaaS(Healthcare as a Service)企業」への変革を推進しています。

その基盤として、データ活用と生成AIの全社実装を加速させており、2024年10月には社内に専任のGenerative AIグループを設置。全社員を対象とした生成AI活用では「2〜3日に1回は使う」を基準にした利用率がすでに約6割に達しているといいます。

また、2026年2月には日立との共同で、治験総括報告書の作成時間を約50%削減するソリューションの正式提供を開始するなど、製薬業界全体への波及を見据えた動きも始まっています。

変革を牽引するのは、DX推進本部データサイエンス部 部長の北西由武氏。臨床統計の専門家として入社後、社会人博士としてテキストマイニングを研究。現在は全社のAI・データ活用戦略を統括しています。

本記事では、組織設計・業務改善・社内浸透の観点から、同社のAI活用の実態を伺います。

北西由武

塩野義製薬株式会社 DX推進本部 データサイエンス部 部長

2003年塩野義製薬入社。臨床統計のプロフェッショナルとして経験を積み、2021年より現職。社会人博士として数理統計やテキストマイニングを研究し、生成AI時代の到来を約10年前から見据えてきた。現在は全社のAI・データ活用を統括する。


※株式会社SHIFT AIでは法人企業様向けに生成AIの利活用を推進する支援事業を行っていますが、本稿で紹介する企業様は弊社の支援先企業様ではなく、「AI経営総合研究所」独自で取材を実施した企業様です。

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「後付け」をなくす組織設計 。 データの使い方をシステム導入前に決める

塩野義製薬のデータ活用は、生成AIブームの約10年前から始まっています。その蓄積が、現在の組織設計に直結しています。

「データをどう使うか」を、システムを入れる前から設計に組み込む。この一手間が、AI活用の精度を大きく左右する──。北西氏はそう考えています。

多くの企業ではIT部門の配下にデータサイエンス機能が置かれ、システム導入後に「このデータ、何かに使えませんか」という相談が来る構造になりがちだと、北西氏は指摘します。

北西氏

「計画が全てであると考えます。臨床試験は特にそうで、どういうデータを取るかを最初に設計しないと、後から何をしても効果の評価は限定的になってしまう

そこで同社では、IT部門とデータサイエンス部を並列に配置。システム導入の検討段階から双方が対等に関わることで、「この要件は必ず盛り込んでください」と最初から言える立場を確保しています。

同じ発想で、データサイエンスユニットとデータエンジニアリングユニットも並列に設置。データを使う側と整備する側が対等に議論する体制が、活用精度を高める土台となっています。

治験文書の作業時間を最大50%削減

製薬会社における文書作成の負荷は、一般企業と比べて格段に大きいといいます。

治験実施計画書や総括報告書といった臨床文書の作成には通常3〜5カ月を要し、メディカルライターの実作業は一試験あたり数百時間に及ぶこともあります。

ルールに沿った精緻な記述と版管理が求められる一方、コピーアンドペーストの繰り返し作業が多く、ヒューマンエラーの温床になっていました。

北西氏

「初稿を生成AIにざっと作ってもらうと、ある程度できたものが目の前にある。そこからブラッシュアップしていく中でも、AIと対話しながら進められる」

完璧な出力でなくとも、初稿を書き始めるまでの「腰の重さ」を解消し、人がチェックや本質的な判断に時間を使えるようにする──これが仕組みのコンセプトです。

2026年2月に日立との共同で正式発表されたPoCの結果では、治験総括報告書で約50%、治験実施計画書で約20%の作成時間削減が確認されています。

外部委託が多かったメディカルライティング業務を社内で高品質に完結できる可能性にも、北西氏は言及しています。

【参考記事】 塩野義製薬と日立、生成AIを活用した医薬品開発の規制関連文書作成支援ソリューションを提供開始

AI浸透に必要なのは「使える!」という体験だった

全社員への生成AI展開において、浸透の壁は「これは仕事に使えない」という初期の印象だったといいます。導入当初、ハルシネーションが多かった生成AIに対して、現場ではおもちゃのような印象を抱いてしまいがちだったと、北西氏は振り返ります。

その壁を超えるために同社が選んだのは、汎用ツールの展開だけでなく、業務に特化したAIアプリの提供です。

北西氏

「例えば過去文書検索AIアプリのような、特定の業務に限定したツールで提供していくのが大事かなと思っています」

過去文書検索AIアプリは、これまで目的の情報に辿り着きにくかった社内検索を改善し、「これは仕事で使える!」という共感を引き出す入り口になりました。

さらに、各業務領域からダブルジョブという形でデータサイエンス部に2割所属する社員を設け、キーパーソンとして現場への浸透を担う仕組みも整えています。

北西氏

「近くにいる人の生産性が目に見えて上がっていると、周りも気になりますよね。そういう状態をまずつくることが大事だと思っています」

「使えばいい」ではない。データ整備と社長メッセージが示す、AI活用の本質

北西氏が現在最も重視するのは、データ整備の先行です。今後のAIは、社内データを自律的に分析し、外部情報と照合しながら提案を行う存在になっていくと同氏は見ています。

北西氏

「同じ人物名でも、漢字表記とアルファベット表記が別物として認識されてしまう。マスターデータとして『同一のもの』と登録しておくだけで、機械のピックアップ率は大きく変わる」

文書中心の現在から、データに基づく提案型のAI活用へ移行したとき、データが整備されていなければその恩恵は受けられません。次のフェーズを見越した地道なデータ整備こそが、今の最重要課題だと語ります。

そしてこの姿勢は、全社的なAI活用の方針にも一貫しています。

塩野義製薬の社長自らが全社員に向けて発信したメッセージは、「とにかく使え」ではなく、「使うことで自分の働き方や生産性をどう変えていくかを問い直してほしい」というものでした。

北西氏

「手段のうちの1つですけど、かなり強力なものだとは思っています。ただ、使えばいいというものではない」

この共通認識のもとで、業務プロセスそのものの見直しが進められています。

2025年11月に移転した新グローバル本社(大阪)では、最大1,000名が集まりフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを軸にイノベーションを生み出す場として機能し始めています。

AIによって言語の壁が大きく下がる中、グローバル人材との日常的な対話が着実に増えています。あわせて、オフィス移転後は海外の従業員が日常的にオフィスにいる光景も当たり前となり、国や言語を越えたコミュニケーションが、特別なものではなく日常の一部になりつつあります。

本社移転も生成AI活用も、同社にとっては「HaaS企業」への変革を実現するための手段です。創業140年を超える老舗製薬企業が、今まさに過渡期の真っ只中にいます。

塩野義製薬から学ぶ3つのポイント

1.「計画」が活用精度を決める
データは「後で何かに使えないか」ではなく、システム設計の段階から「何のために取るか」を決めておくことが活用の前提になります。IT部門とデータ部門を並列に置き、最初から対等に議論できる組織構造がこの考え方を支えています。

2.「共感」が浸透のカギ──業務特化アプリで”使える”体験をつくる
汎用の生成AIツールを提供するだけでは浸透は進みません。社内文書検索など「これは便利だ」と実感できる特化型アプリの提供が、現場の抵抗感を解き、利用習慣の形成につながっています。

3. データ整備は「今」やるべき先行投資
生成AIの活用が文書作成から自律型の提案・分析へと進化する前に、マスターデータの整備を進めることが次のフェーズへの備えになります。データが整っていなければ、どれだけ優れたAIを導入しても効果は半減します。

塩野義製薬の事例が示すのは、AI活用は特別な技術投資だけでなく、仕組みづくりと文化づくりによって浸透するということです。

「使うことが目的にならない」──このシンプルな原則を組織全体で共有できているかどうかが、真のAI経営への分岐点となります。

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