ジェネリック医薬品で国内をリードする沢井製薬株式会社などを傘下に持つ、サワイグループ。沢井製薬の約700品目におよぶ製品を支えてきたのは、研究現場に積み重ねられた膨大なノウハウです。

その一方で、機密性の高い医薬品情報を扱う製薬企業にとって、生成AIの活用は「情報漏えい」という大きなリスクと隣り合わせでもあります。

守りを固めながら、いかに攻めるか──。

同グループは2023年の社内有志の動きをきっかけに、グループ全社員が安全に使えるGemini基盤の整備と、沢井製薬 製剤研究部発の「ベテラン社員のような生成AI」づくりを並行して進めてきました。

本記事では、グループIT部門でこの取り組みを牽引する竹田幸司氏と北川佳佑氏に、導入の背景から浸透の工夫、そして製薬×AIが描く未来像までを伺います。

竹田幸司氏

サワイグループホールディングス株式会社 グループIT部門 担当役員 兼 ブランドコミュニケーション部 副担当役員

製薬企業のIT部門で長くキャリアを積み、約10年前にサワイグループへ参画。2024年6月よりグループIT部門の担当役員を務める。PHR管理アプリ「SaluDi(サルディ)」事業の責任者も兼任し、グループ全体のデジタル変革を統括する。


北川佳佑氏

サワイグループホールディングス株式会社 グループIT部

ATMのフィールドSEとして提案・設計・予算管理に従事し、システムの品質を厳格に守り抜く業務を経験。現在はグループIT部で沢井製薬 研究開発本部・信頼性保証本部のシステム導入と運用支援を担当。生成AI推進チームの一員。

※株式会社SHIFT AIでは法人企業様向けに生成AIの利活用を推進する支援事業を行っていますが、本稿で紹介する企業様は弊社の支援先企業様ではなく、「AI経営総合研究所」独自で取材を実施した企業様です。


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「守り」と「攻め」の葛藤から始まった全社展開

サワイグループの生成AI活用は、2023年の社内有志のイベントから動き出しました。ChatGPTが登場し、世の中が生成AIに沸き始めていた頃のことです。

最初に立ちはだかったのは、製薬企業ならではの強い問題意識でした。

北川氏

「社内の機密情報を入力すると、生成AIの学習に利用されて情報が漏えいしてしまうのではないか。製薬企業として、このリスクは絶対に避けなければなりません。一方で、生成AIという技術の可能性も潰してはならない。この守りと攻めの葛藤が、私たちの活動のスタートラインでした」

最初の一手は、禁止ではなく「注意喚起」でした。

研究開発部門などに対し、製品や研究の情報を書き込まないよう呼びかけながらも、活用そのものは止めない。他社の動向を見ながら、活用の形を探るなかで、「業務に近い使い方をしたい」という声が社内から自然と高まっていったといいます。

そこでサワイグループは、自社が採用するGoogleの環境を活かし、社員が安心して使えるクローズドな生成AI基盤としてGeminiを全社展開しました。2025年4月のことです。ガイドラインの整備にあたっては、先行して取り組んでいた自治体等のガイドラインをベースにしつつ、製薬企業として求められるセキュリティ要件や倫理基準を考え、サワイ独自の指針を策定しました。

現在は、全社員が使えるGeminiを土台に、その上に業務特化型のLLM活用を重ねる「2階建て」の考え方で運用しています。

竹田氏

「全社共通のインフラとしてガバナンスを効かせつつも、現場の高度な専門業務にはそれぞれ最適なLLMの強みを適材適所で活かしていく。乱立は避けながらも現場の利便性を考え全社基盤と業務特化の2階建ての戦略をとっています」

​「ベテラン社員のようなAI」で挑む製剤研究部のナレッジ継承

2階建ての「上の階」にあたる業務特化の取り組みで、最も先行しているのが研究開発本部の製剤研究部です。同部はAzure OpenAI上に、過去の検討報告書など社内データを参照するRAG(検索拡張生成)を構築しました。

この取り組みの背景にあったのは、約700品目もの製品を抱えるなかでの、ナレッジ継承という長年の課題でした。

北川氏

「経験の浅い若手や、他部署から異動してきた社員が、製剤に関する知識をAIで補いながら自分の専門性と掛け合わせる。ベテラン研究者に近い多角的な視点で、一段階上の研究を行える状態にしたい。そんな思いが製剤研究部にありました」

たとえば「製剤の硬度を上げたい」という課題があったとき、新人はどんな手法があるのか分からないことも多いものです。RAGに相談すると、「過去の品目ではこういう事例で硬度が上がった」と、さまざまな角度から手法を提示してくれます。

かつては過去資料を手作業で探していました。資料がなければ工場へヒアリングすることもあり、情報収集に1時間から、多いときには4時間ほどを費やしていました。

北川氏

「回答のヒントや、資料の該当箇所をズバリ教えてくれる。これまで時間をかけていた情報収集が、わずか15分ほどで特定できるようになりました」

生まれた余白は「人間にしかできない仕事」へ

情報収集の時間が大幅に短縮されたことで、研究員は本来のコア業務に向き合えるようになりました。

北川氏

「生まれた時間は、製剤の研究や、創造的なアプローチの模索といった、人間にしかできない領域に充てられるようになりました。単に作業が効率化されただけでなく、研究の試行錯誤のサイクルそのものが加速し、実験データの品質向上という本質的な成果にもつながっています」

製剤研究部のRAGは、すでに部員の80%以上が日常的に利用しているといいます。2024年6月頃から検証的に使い始め、現在は月50回ほどのペースで定着しています。

全社基盤のGeminiについても、利用率は70〜80%に達しているとのことです。

広報・広告宣伝を担うブランドコミュニケーション部でも、活用は広がっています。GeminiやNotebookLMを使い、取材原稿の数字が決算資料と整合しているかを確認したり、Web社内報でのHTML・CSSのコードを書かせたりと、業務に応じた使い方が定着しています。

もともと業務量の多かった同部では、これまで業務を圧迫していたノンコア業務が圧縮でき、本来注力すべき企業ブランディングというコア業務に向き合えるようになりました。

機密情報を守る「最後は人が確認する」仕組み

活用を広げるうえで、同グループが最も議論を重ねたのが、ハルシネーションへの向き合い方と、データ取り扱いの厳格な線引きでした。

機密情報を守りながら安全に使うための大前提として、「最終的には必ず人が事実確認を行う」ことをマニュアルに明記しています。

北川氏

「ルールを現場の運用に委ねるだけでは形骸化してしまう。だからシステム的にも制限をかけ、人が事実確認をするという手順を、仕組みとして要件化しています」

製剤研究部のRAGでは、回答の下に必ず参考文献のリンクを表示し、ワンクリックで該当する社内文書をプレビューできるようにしました。研究員がその場で根拠を確認できる環境です。

また、医薬品を扱う企業として、国への申請には、生成AIが分析したデータを使わないという明確なルールも定めています。

北川氏

「AIは、あくまで基礎検討の段階でアプローチを多角的にするための提案材料であり、データの質を高めるための伴走者です。人間が担う作業とAIの役割を分けて運用しています」

浸透を支えたのは、説明会と「自分ごと」化の工夫

高い利用率の背景には、地道な浸透の工夫がありました。

製剤研究部では、マニュアルの配布に加えて月例の説明会やデジタル促進会を開き、具体的な活用事例や成功パターンを横展開してきました。外部ベンダーを招いた講習会で実際に手を動かす機会をつくるなど、利用の心理的ハードルを徹底的に下げています。

RAGの回答画面には満足度を測るアンケートも設置し、その回答をもとに改善を続けています。

全社のGeminiについても、専用ポータルやコミュニティでの情報発信、集合教育、マニュアルの全社公開などを通じて、社員一人ひとりが「自分ごと」として捉えられるよう工夫を重ねてきました。

一方で、浸透の過程に壁がなかったわけではありません。

北川氏

「製剤研究部は、導入以前から紙媒体を電子化する取り組みを徹底していました。その土台があったからこそ、RAGの仕組みにすぐにデータを投入できたのです」

全社展開では、広まった後にユーザーからの問い合わせや業務活用の相談が一気に増えました。そこで同グループは、専門の問い合わせ窓口を設け、現場からの相談に迅速に対応できる体制を整えています。

AI活用の成熟度を測る、サワイ独自の5フェーズ

竹田氏は、生成AIを「競争優位を確立するためのツール」と位置づけています。サワイグループでは、生成AI活用の成熟度を自社で5つのフェーズに定義しています。

フェーズ主な状態
Phase 1|試行段階個人レベルの汎用AIの活用
Phase 2|全社利用セキュアな全社利用環境構築、浸透研修の開始
Phase 3|業務活用社内データ連携(RAG)、テンプレート化
Phase 4|業務変革Agentic AIによるシステム間連携とプロセス自動化
Phase 5|競争優位フィジカルAIも活用したAI協働型ビジネスモデル

現在地は、フェーズ2からフェーズ3への移行期。RAGを定着させた製剤研究部が先行し、その成功事例を全社へ広げていく段階です。

竹田氏

「機械に任せられるものは任せて、各部門が本来のコア業務にもっと時間を割ける。それを加速させていきたい」

その先に見据えるのは、Agentic AIやRPAと組み合わせた自動化、そしてフィジカルAIも取り込んだ「AI協働型ビジネスモデル」です。ジェネリック医薬品の生産が大きなウェイトを占める同グループにとっては、AI協働・自律型工場のような構想も10年先を視野に入れながら、取り組みを進めていこうとしています。

竹田氏

「“人間 vs AI”ではなく“人間 with AI”、そして“AI with 人間”です。何かを奪われるのではなく、人とAIが共存して一つの目的に向かって協働していく。そういう姿を描いています」

竹田氏は、生成AIの未来をWebブラウザの普及にたとえます。

竹田氏

「今、ブラウザを特別なものだと思う人はいません。生成AIも、5年10年経てば特別な技術ではなくなり、生活や業務の一部になっていくでしょう」

「Sawai Group Vision 2030」が掲げる未来へ──人とAIが協働する組織の姿を、サワイグループは一歩ずつ描こうとしています。

サワイグループから学ぶ3つのポイント

1.「守り」と「攻め」を同時に設計する

機密情報の漏えいリスクを直視しながらも、活用の可能性を潰さない。禁止ではなく注意喚起から始め、ガイドライン整備と全社基盤の展開を並行させたことが、安全と推進の両立につながっています。

2. 現場の課題を起点に「業務特化AI」を育てる

全社一律のツール導入だけでなく、製剤研究部のナレッジ継承という具体的な課題からRAGを構築。「ベテラン社員のようなAI」という現場の言葉が、利用率80%超という浸透を生み出しました。

3.「最後は人が確認する」を仕組みにする

ルールを現場に委ねるだけでは形骸化します。参考文献リンクの表示や申請データへの不使用など、人の確認を前提とした仕組みをシステムに組み込むことで、機密性の高い業界でも安心して使える環境が整います。

サワイグループの事例が示すのは、生成AIの活用が「リスク管理」と「現場の課題解決」の両輪で進むということです。

守りを固めながら現場の一つの声を全社の仕組みへと育てる──その積み重ねが、製薬企業のAI経営を前へと動かしています。

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