「ダンロップ」や「ファルケン」といった世界的タイヤブランドを展開する住友ゴム工業株式会社は、100年以上の歴史を持つ老舗メーカーでありながら、デジタル技術を駆使した変革に着実に取り組んできた企業です。
同社がAI活用を本格化させた背景には、新興国メーカーの台頭による競争環境の激化がありました。
長年培われてきた熟練工の経験や勘、いわゆる「匠の技」をいかにしてデジタルデータに落とし込み、次世代へ継承しながら生産性を最大化させるか。
その問いに対するひとつの答えが、独自に開発された「匠AI」をはじめとする現場起点で進めているAI導入プロジェクトでした。
製造現場の効率化から研究開発におけるシミュレーション、さらにはバックオフィスでの生成AI活用に至るまで、同社のAI活用は多岐にわたります。
特筆すべきは、社員一人ひとりがAIをパートナーとして使いこなせる「デジタル革新人材」の育成を経営戦略の柱に据えている点です。
今回は、同社のデジタル企画部で課長を務める金子氏に、AI導入初期の苦労から、現場の暗黙知をデータ化した手法、さらに2035年に向けた壮大なビジョンまで、歩みと手応えを詳しく伺いました。

住友ゴム株式会社
デジタル企画部 課長
住友ゴム入社後、IEとして生産性改善活動に従事。2017年に製造IoT推進室が新設され、データ分析担当になって以降BIの導入推進やAIの開発を担当。2022年より経営企画部にてDX人材育成も担当し全社のデータドリブン経営に向けた活動を推進。2024年より、全社のデータAI活用推進のリードや生成AI・AI Agentのテクノロジーの調査導入を担っている。
※株式会社SHIFT AIでは法人企業様向けに生成AIの利活用を推進する支援事業を行っていますが、本稿で紹介する企業様は弊社の支援先企業様ではなく、「AI経営総合研究所」独自で取材を実施した企業様です。
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競争力維持のために不可欠だったAI導入
住友ゴムがAI活用という大きな一歩を踏み出したのは2018年頃。当時は世の中でDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が急速に広まり始めた時期でしたが、同社がDXに注力し始めた最大の動機は、企業としての危機感にありました。
タイヤ業界において中国をはじめとする新興国メーカーが急速に力をつけており、彼らは最新の設備によるオートメーション化やITを駆使した効率的なものづくりを強みとしていました。
一方で住友ゴムは、長年の歴史の中で積み上げてきた現場の知見や個人の経験値に頼る部分が多く、伝統的な手法だけでは将来のグローバル競争に勝ち残っていけないという課題認識が経営層にありました。

「企業としての競争力を持ってビジネスを推進していくためには、AIなどのテクノロジーを当たり前に使っていかないと勝ち残っていけないという非常に強い課題認識がありました」
そうした状況において、同社は2020年に社長直轄の全社横断的なプロジェクト「Be the Change Project」を始動させました。そのプロジェクトの中にデジタル変革を最重要テーマのひとつとして掲げ、一部の専門部署だけでなく全社を挙げた取り組みへと発展していったのです。
現場の負担を減らすことから始まった「信頼」の構築
AIの導入を進めるうえで避けて通れないのが、実務を担う現場との連携です。
タイヤの製造現場は高い品質と納期を守るために非常に多忙な環境にあります。そうした現場に対していきなりAI推進を提唱しても、協力体制を得ることは容易ではありません。
そこで同社が取った戦略は、「まずは現場の困りごとを解決することから始める」という極めて現実的なアプローチでした。

「私たちの進め方のポイントとしては、いきなり何でもかんでもAIをやるというよりは、もう少し手前のBI(ビジネスインテリジェンス)による“見える化”のような技術も使いながら、現場の困りごとや時間がかかっている業務をできるだけ取り除くことから始めました」
まずは現場の負担を軽減し、デジタルを使うと便利になるという実感を持ってもらうことで、データ収集やヒアリングといった現場での協力が得やすい環境を整えていきました。
品質改善と生産性向上を同時に実現
住友ゴムにおけるAIの具体的な活用事例として際立っているのが、工場の品質改善と生産性の向上です。
タイヤの製造は非常に複雑な工程を経て行われます。これまでは万が一不良品が発生した際の原因特定には熟練工の長年の経験や勘が不可欠でした。
同社は現場データをIoTで収集し、BIやAIを組み合わせることで、非常に手間がかかっていた因果関係の分析をデータから導き出す仕組みを構築しました。

「従来は人が手計算したり過去の経験から判断したりしていた作業において、AIを活用して最適な値を導き出し、設備へ自動的にフィードバックする仕組みを作りました。これにより品質の安定化に繋がりましたし、作業者が定例的に計算・入力する手間が省けたことで生産性も向上しました」
過去の膨大なデータを学習したAIが品質に影響を与える要因を分析することで、不良品の発生を未然に防ぐ精度が向上したのです。
AIを製造工程に組み込むことで、品質の安定と作業の効率化という相反しがちな二つの目標を同時に達成することができました。
「匠のノウハウ」を数値化しデジタルで継承する挑戦
住友ゴムのAI活用の中でも特に独自性が高いのが「匠AI」の開発です。タイヤの開発プロセスにおいてテストドライバーによる走行評価は極めて重要ですが、その評価内容は官能評価と呼ばれる定性的で、表現の揺れが生じやすいものでした。
熟練のドライバーが発する「もう少し路面をギュッと掴む感じがほしい」といった抽象的な表現を項目化・体系化し、設計上の改良案につなげることは、長年の大きな課題でした。
極めて人間的な匠の感覚をデータ化してAIに学習させるという困難なプロジェクトに、同社は数年の歳月を費やして挑みました。テストドライバーの感覚的な言葉と、その時のタイヤの挙動や設計データを丹念に紐付け、関係性を整理し、学習データとして構造化していったのです。

「匠の思考プロセスが徐々に可視化されてきたので、そうしたデータを使って次世代の育成に繋げていくことも可能になってきています」
この取り組みによって、熟練の設計者でなくてもベテランに近い視点で開発を進められるようになり、技術伝承のスピードが向上しました。
暗黙知を非属人化するAI活用は、伝統ある製造業がデジタルの力で自らの強みを再定義した非常に印象的な事例と言えます。
AI時代の役割分担と人間が持つべき責任の所在
AIの活用範囲が広がる一方で、金子氏は人間とAIの役割分担の重要性を強調します。いくらAIの精度が向上して自動化が進んだとしても、ものづくりの会社として譲れない一線があると考えているからです。
同社では、最終的な品質の保証やお客様に対する製品責任は必ず人間が負うべきであるというスタンスを明確にしています。

「方向性や目的を決めることは、どこまで行っても人間がやるべきことだと思っています。その中で、プロセスのどの部分をAIに任せるかを人が判断していくことが大事なのではないでしょうか。AIは過去のデータに基づいた最適な推論を行うことは得意ですが、不測の事態に対する責任を取ることはできません」
金子氏は、AIのアウトプットを最終的に承認して世に送り出す判断は常に人が行うべきだと考えています。AIの進化を前提としつつも、人間が主体となって責任と判断を担う体制こそが、企業としての価値を支える基盤になるという姿勢が示されています。

生成AI活用の広がりと教育現場で生じる新たな課題
住友ゴムでは、オフィス業務における生成AIの活用も積極的に進めています。
Microsoft Copilotをはじめとするツールを全社的に導入し、日々のメール作成、レポートの要約、翻訳、コーディングのサポートに至るまで、幅広い業務で活用が進んでいます。
専門用語や会社の歴史的背景など、ベテランに聞きにくい些細な疑問に対してもAIが即座に答えてくれるため、若手のキャッチアップスピードが格段に上がっています。
一方、生成AIの利用が進むことで生身のコミュニケーションや思考の積み上げが希薄になるのではないかという懸念も抱いています。

「AIに文章をアウトプットさせると、綺麗にまとまってはいるけれど意志がこもっていない、ということがよくあります。AIに文章を作成してもらうのが当たり前の状況において、自ら考えて言葉にしていく力がきちんと身につくのか不安を感じることもあります」
金子氏は、生成AIの活用が若手社員の教育面でもポジティブな影響を与えている一方で、AIに頼りすぎることによる弊害についても冷静に分析しています。
思考のすべてをAIに委ねてしまわないようバランス感覚を養うことが、今後の人材育成の大きなテーマとなるのではないでしょうか。
「デジタル革新人材」の育成こそが組織の成長の鍵
住友ゴムは、2035年に向けた長期経営戦略の中でデジタル技術を事業成長の源泉と位置づけています。
専門部署の人間だけがデジタルに詳しい状態では不十分であり、各事業部門や製造現場の一人ひとりが主体的かつ自律的にAIを活用できる組織を目指しています。

「事業部門や現場が主体となってAIを使いこなし、ビジネスを変革していけるかどうかが、これからの企業の競争力にとって非常に重要なポイントだと思っています」
金子氏がこのように語る背景には、全社的なデジタル教育とAI文化の形成を急ぎたいという狙いがあります。
セキュリティガイドラインの策定といった守りの体制を整えることはもちろん、活用勉強会の実施や成功事例の共有を通じて、デジタル変革を自分事として捉える社員を増やそうと奔走しています。
グローバルな成功を支えるAI活用のさらなる高度化
住友ゴムは現在グローバルにおけるブランドの統一化を進めており、世界中の市場のニーズに合わせた製品を迅速に届けるスピード感を追い求めています。
市場の変化は年々激しさを増しており、これまでの開発スピードでは不十分な場面も出てきています。こうした課題を解決するためにAIはますます重要になります。

「市場のニーズにあった製品を届け続けるには、さらなる開発スピードの向上が求められます。そこにAIを活用していかないと、これ以上のスピードアップはできないのではないかと考えています」
高品質な製品を短期間で生み出すためには、一部の工程だけでなくサプライチェーン全体における需要予測や在庫最適化など、AIの適用範囲をより広範に拡張させていく必要があります。
100年の伝統を守りながら、AIの革新力を取り込んだ住友ゴム。その挑戦は、日本の製造業が歩むべきデジタル変革の道標となるに違いありません。
住友ゴムから学ぶ5つのポイント
住友ゴムのAI活用は、伝統ある製造業が直面する「技術伝承」や「現場の多忙化」という極めて現実的な課題に向き合う中で培われてきたものです。
しかし、同社の取り組みの本質は現場の信頼を勝ち取り、人の知見をデジタルで最大化させる業務改革にあります。多くの企業に通じる再現性の高い実践を、5つのポイントに整理しました。
- AI導入は現場の「余白づくり」から始める
同社がAI導入の前段階で取り組んだのは、業務の可視化と効率化を行い多忙な現場に時間的なゆとりを生み出すことでした。新しい技術への協力を得るためには、まず現場の負担を軽減して「デジタルを使うメリット」を実感してもらうことが大切です。 - 「匠の技」をデータ化して組織の資産に変える
同社はベテランの感覚や経験という、数値化しにくい「官能評価」の領域にあえて踏み込み、数年をかけて言語化とデータ化を成し遂げました。個人の暗黙知をAIが扱えるデータへと変換し、組織の共有財産として再定義するプロセスが、独自の競争力を生む源泉となります。 - 人間が「目的と責任」を担い、AIを手段として位置づける
同社では「最終的な品質保証は人が責任を持つ」という指針を明確にし、AIを目的達成のための強力な手段として位置づけています。AIに判断を丸投げするのではなく、人間がWhy(なぜやるか)を定め、最終的な責任を負う境界線を引くことが健全な活用に繋がります。 - 生成AIを「知見共有のハードル」を下げる支援者にする
若手が社内の専門用語や会社の歴史的背景をキャッチアップする際にもAIが活躍しています。AIを「いつでも嫌な顔をせず答えてくれるパートナー」として機能させることで、社内の知恵の循環を速め、若手の戦力化を促すことができます。 - AI活用を「経営戦略と人材育成」の核に据える
同社は2035年に向けた長期経営戦略の柱として「デジタル革新人材」の育成を公言しています。トップがAI活用を経営の最優先事項として位置づけ、自ら変革を推進できる人材を育てることが組織全体の成長の鍵となります。
もちろん、ここで紹介した取り組みは、住友ゴムの企業文化や事業特性があってこそ実現できたものでもあります。
重要なのは、仕組みそのものを真似ることではなく、自社の目的や文化に合った形でAIの活用を設計することです。AIを導入すること自体がゴールではなく、社員一人ひとりが自然に使いこなせる環境を整えることが本当の成果につながります。
しかし、実際に自社でこれを実践しようとすると、
「うちの組織に合ったAIの活用方法は?」
「社内に広げるには、どんな人材が必要?」
「成果をどうやって可視化すればいい?」
といった壁に直面する企業も少なくありません。多くの組織が同じ悩みを抱えています。
私たちSHIFT AIは、こうした導入したが定着しないという課題解決を得意としています。貴社の文化や業務内容に合わせた浸透施策の設計から、社員のスキルを底上げする伴走型研修、活用成果を見える化する仕組みづくりまで、AI活用の定着に必要なプロセスを一気通貫で支援します。
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