「生成AIを試してみたものの、日々の業務になかなか根づかない…」そんな悩みを抱える企業は少なくありません。一方、試す段階から「仕組みとして定着させる段階」へと進み、業務プロセスそのものを変え始めている企業もあります。
都心・郊外の大規模複合開発や住宅・インフラ・再生エネルギー事業を手がける東急不動産株式会社は、その先頭に立つ存在といえます。
同社では、用途に応じて複数の生成AIを使い分けながら、社内のメンバーがプロンプト設計やエージェント構築を担い、部門ごとの業務に合ったツールを次々と内製しています。
今回は、同社のDX推進を担当する村西氏に、AI導入の経緯から活用の実態、今後目指している姿まで、その全体像を詳しく伺いました。

東急不動産株式会社
DX推進部 デジタライズ推進第2グループ
グループリーダー・課長
東急不動産に入社以来、不動産の再開発や人事業務等を経験。直近では国土交通省に出向し、3D都市モデルの整備・活用・オープンデータ化を推進する「PLATEAU」のプロジェクトマネージャーを務める。帰任後は、全社的な生成AIの活用に関する企画・開発・運用に加えて、地図情報を高度に活用するためのプロジェクトや法人営業力強化に向けたデータ連携を企画し推進中。
※株式会社SHIFT AIでは法人企業様向けに生成AIの利活用を推進する支援事業を行っていますが、本稿で紹介する企業様は弊社の支援先企業様ではなく、「AI経営総合研究所」独自で取材を実施した企業様です。
「実務ノウハウ3選」を公開
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AIモデルを複数導入し、業務特性に応じて使い分ける
東急不動産が生成AIの本格導入に踏み出したのは、2024年の前半です。ChatGPTが広く注目され始め、さまざまな企業が可能性を模索していた時期に、不動産業界特有の膨大な書類作成業務や法的要件への対応を効率化する手段としてAIの検証を進めました。
同社の取り組みで特徴的なのは、複数のAIモデルを用途に合わせて柔軟に使い分けている点です。特定のモデルに依存せず、ChatGPT、Claude、Geminiそれぞれの強みを踏まえて業務に組み込んでいます。

「いろいろ使ってみて、モデルによって癖が違うことがわかりました。ChatGPTは応答の速さと安定した精度に、Claudeは長文の生成や分析に、Geminiはデータ処理に強みがあります。エージェントを構築する際は複数モデルを試して一番合うものを選定しているので、それなりの精度は担保できていると思います」
柔軟なアプローチによってモデルごとの特性を最大限に生かしたAI活用が進み、業務プロセスに合ったエージェント内製につながっています。
プロンプトエンジニアリングに必要なのは専門性よりも企画力
東急不動産では、プロンプトエンジニアリングを社内で担う体制を整えており、5〜6名ほどのメンバーが全社から寄せられるニーズに対応しています。
特筆すべきは、エージェントを構築しているメンバーの多くが、IT・DX部門に配属されるまで同分野の経験がほとんどなかったという点です。

「特別に高度な専門性が必要なわけではないと思っています。エージェントがどのような仕組みで動くのか、モデルごとの特徴は何かといった基本を理解すれば、OJTのような形で構築できるようになります。専門的な知識を持つ社員が1人いるので、疑問点のフォローや高度な構築はその方に支えてもらっています」
大切なのは専門性よりも「企画力」だといいます。新しい技術基盤やツールに対し「何が実現できるようになるのか」を想像し、議論できるかどうかを重視しています。
このような議論が、ベンダーに相談する際の論点をより明確にするだけでなく、社内に蓄積される知見の幅を広げるきっかけにもなっています。
アイデアを持ち寄り、「この技術でこういうことができるのではないか」「では具体的に相談してみよう」といった前向きなやり取りを重ねることで、チーム全体の理解が深まり、プロンプトエンジニアリングの質も高まっています。

全56部署すべてで説明会と質疑応答を実施
多くの部署でAI活用が進んでいる一方で、導入期や環境構築の段階では丁寧な調整が必要になりました。特に社内環境を安全に保つための設計や、社員への理解を浸透させるプロセスには、多くの時間と労力が費やされています。

「社員のリテラシーを底上げするために、インフラやガイドラインの整備に加えて、直接対話する場を設けて『どのようなことにAIが活用可能か』『こんな事例があるので現場でも試してもらいたい』といった説明を地道に行いました。2024年度は当部のメンバーに全社56部署すべてを回ってもらい、各部署ごとに1時間ほどの説明会と質疑応答を実施しました」
さらに部長以上、本部長以上といった役職別の説明会も行い、階層に合わせたコミュニケーションも意識しています。
現場向けの説明と責任者層向けの説明で基本の内容は大きく変えませんが、職位の高い社員からは「事業にどう活用できるのか」「マネジメントの観点での影響はどうか」「組織としてどう展開していくか」といった問いが寄せられるため、より広い視野での活用を共に模索しています。
このように、階層と役割に応じて伝え方や考え方を工夫しつつ、社内全体のリテラシーを引き上げる取り組みが、現在の幅広いAI活用の基盤になっています。
各部署からのニーズをエージェント設計に落とし込むプロセス
部署ごとに抱える課題や実現したい業務が異なる中で、東急不動産はどのようにAIエージェントの設計へと落とし込んでいるのでしょうか。

「各部署でAIの説明会を行ったことで、やや無理難題も含め『こういうことができるのではないか』という相談が非常に多く寄せられるようになりました。本当にうれしい悲鳴で、さばききれないほどでした」
同社はできることとできないことを丁寧に切り分けながら、なるべく実現へ近づける方向で対応しています。重要なのは「社内における認知拡大」で、何でも投げかけてもらえる環境をつくることです。
実現できるかどうか確信が持てない内容でも気軽に相談できる環境が整っていることは、AI活用が進む企業ならではの特徴です。こうした「人の力」によるサポート体制が、各部署からのニーズをエージェント設計へとつなげる基盤になっています。
導入後の働き方の変化──「考えの整理」にAIを活用
AI導入後、社内では業務の進め方にさまざまな変化が現れています。資料作成や情報収集のスピードが向上しただけでなく、思考をまとめる場面でもAIが活用されるようになりました。
特に顕著なのが、「考えの整理」を支援するエージェントの活用です。たとえば、マンション購入者のターゲット像を検討するプロセスでは、従来、担当者が手作業で情報を集め、世帯年収や家族構成、職業などを一つひとつ考えながら資料のたたきを作っていました。
現在はエリアの属性や統計情報をもとに、どのような層にニーズがあるのかをAIに分析させ、想定顧客のイメージ画像まで生成させているといいます。
これにより、以前は数日かかっていたマンションのコンセプト会議に提出する資料のベースを作成する作業が、十数分で終わるようになりました。

「完璧は求めていないというのが前提ですが、最初に試したときから“割といいかんじに出力されるな”という印象を持ってもらえました。そこからブラッシュアップを重ね、短時間でかなりイメージした内容に近い状態の資料を作れるようになりました」
AIに完璧さを求めるのではなく、思考をまとめるための「たたき台」をスピーディに用意することに価値を置く取り組みが広がり、業務の進め方そのものに変化が生まれています。

独自発想から生まれた検索エージェントと特許取得への流れ
東急不動産には、不動産業務に求められる膨大な書類作成や煩雑な判断作業を少しでも減らすために、社内の業務特性に合わせた「独自のAI活用の仕組み」がいくつも整備されています。
そうした流れの中で生まれた代表例が、RAGと検索基盤を組み合わせることで仕様書を横断的に検索できる「仕様書検索エージェント」です。
住まいづくりにおいては「洗面台の高さは何センチ」「玄関の入り口の幅は何センチ」といった細かな仕様を、ブランドコンセプトとも照らし合わせて一つひとつ確認する必要があります。
必要な情報を探し当てるだけでも時間がかかる状況が続いていましたが、このエージェントを用いることによって、仕様書の中から該当箇所を即座に特定できるようになりました。これまで5〜10分かけて探していたのが30秒程度で済むようになり、現場の定例会議などにおいて非常に役立っているといいます。
こうした取り組みの中で、同社は「自分たちの発想にどれほど独自性があるのか」を確かめる手段として、特許出願にも取り組んでいます。

「社内で議論して実装してみると、類似の事例がほとんど見つからず、これは特許になり得るのではないかと考えました。弁理士さんからも十分価値があると後押しをいただき、最初の出願につながりました」
特許を取ること自体を目的としていたわけではなく、実際に動く仕組みを作る中で価値が見いだされた結果として出願に踏み切った経緯があります。現在は複数の技術の出願を進めており、今後も同様の取り組みを広げていく姿勢を示しています。
今後の展望──「エージェント to エージェント」の世界へ
東急不動産は、AIが業務に自然に溶け込む未来を見据えながら、次のステップを模索しています。業務効率化ツールとしての活用から、複数のエージェント同士が連携して動く世界へと進む潮流を感じているといいます。

「これまでAIはどうしても業務効率化の要素が強かったのですが、業務エージェントが増えていくことでエージェント同士が連携する『Agent to Agent(A2A)』の世界が必ず来ると考えています」
さらに村西氏は、「極端な話ですけど」と前置きしつつも“社長とそれ以外”という世界観にも言及しています。

「判断者である社長が一人いて、その人が適切に判断できる状態になれば、間の階層はそれほど必要なくなる可能性があります。たとえば、企業が数億とか数千億の投資をするときは、さすがにAIに任せるわけにはいかないので社長が判断しますが、そこに至るまでの材料はAIが全部集めてくれる世界が考えられます。そうなると、部長や本部長、役員といった中間の階層は、今ほど必要ないかもしれません。社長があらゆるデータを掌握してAIを使いこなせていれば、いろいろな判断をスピーディに行えるので、役割としては非常にフラットな世界が待っているのではないか、と個人的には思っています」
また、同社はA2Aのような将来的な構想を視野に入れつつ、足元の取り組みでもAI活用の幅を広げています。

「最近、会社として地図データの活用にも力を入れており、外部サービスとも連携しながらデータを統合する仕組みを構築しています。このようなデータ基盤はAIとの相性がすごく良いんですよね。分析の精度もぐっと上がります。AIを効率化のためだけに使うのではなく、いろいろなデータ基盤と掛け合わせて、もっと広く、高度に使っていきたいと思っています」
AIが単なる補助ツールから組織の意思決定を支える重要なパートナーへと進化していく──。東急不動産の挑戦は、そんな未来への第一歩となっています。

東急不動産から学ぶ「真似するべき」5つのポイント
東急不動産のAI活用事例から、他の企業が参考にできるポイントを5つに整理しました。
- 複数モデルを前提にした柔軟な選定と組み合わせ方
ChatGPT、Claude、Geminiなど複数のモデルを業務に応じて使い分けています。エージェントを構築するときは複数モデルを比較し、もっとも適したものを選ぶことで、精度と安定性を確保しています。 - 専門人材に依存しない「社内プロンプトエンジニアリング」体制
IT・DX未経験のメンバーもOJT形式で育成し、社内でエージェントを設計・構築しています。専門知識よりも「企画力」や「議論する文化」を重視し、内製の幅を着実に広げています。 - 全部署を回る説明会に象徴される“浸透活動”の徹底
ガイドラインやインフラ整備だけではなく、全部署に足を運び、説明会と質疑応答を実施。役職に応じて伝え方を工夫することで、「安心して使える環境」と「何でも相談できる空気」をつくり出しています。 - 業務特性に根ざしたエージェント設計と改善を重ねる文化
仕様書検索エージェントに代表されるように、同社のAI活用は「業務の困りごと」からスタートしています。現場の作業負荷や判断の煩雑さを減らすために独自のエージェントを次々と内製し、運用しながら改善するサイクルが根づいています。 - データ基盤との連携を前提にした“次の段階”のAI活用
地図データを扱う統合基盤の整備など、外部サービスとの連携も含めたデータ活用に挑戦しています。業務効率化にとどまらず、Agent to Agentによる自動連携を見据え、将来の高度な活用に向けて着実に領域を広げています。
これらの取り組みは、特別な技術投資に依存せず、多くの企業でも応用できる実践例です。特に「複数モデルの使い分け」や「全部署を回る地道な説明会」、「内製化を前提としたプロンプトエンジニアリング体制」は、すぐに取り入れられるヒントになるでしょう。
東急不動産の事例が示すのは、生成AI定着のカギはツール導入ではなく「仕組みにする力」にあるということです。
複数モデルの使い分け、社内要員による内製化、全社への地道な浸透活動、特許技術を活用した効率化の仕組み──これらが有機的に結びつくことで、AIは「試すもの」から「当たり前に使うもの」へと進化します。
しかし、自社でこれを実践しようとすると、
「どのモデルをどう使い分ければいいのか」
「プロンプトエンジニアリングの体制をどう構築するのか」
「全社への浸透をどう進めるのか」
といった壁に直面する企業も少なくありません。
私たちSHIFT AIは、こうした「導入したが仕組みにできない」という課題解決を得意としています。
企業の業務特性に合わせたAIモデルの選定から、社内要員のスキル育成、全社への浸透施策の設計まで、AI活用を「仕組み」にするために必要なプロセスを一気通貫で支援します。
「生成AIを導入したけど、思うように活用が進まない」「どのモデルを選べばいいかわからない」そんなお悩みをお持ちでしたら、ぜひ一度、私たちの支援内容をご覧ください。
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